1976年の猪木と2002年・2017年の私「1976年のアントニオ猪木を読んで」

やっぱりアントニオ猪木は素晴らしいプロレスラーだったと言う話に尽きる本でした。
中身に触れずに話すのは無理なので中身読んでない方はネタバレ対策で動画でも見ながらまた来て下さい。読むつもりのない方は是非、この感想を読んで触れて頂きたい。そうじゃなきゃ感想文なんて書きませんので。

1976年のアントニオ猪木はモハメド・アリと戦った年なわけですがアクラム・ペールワンとも同じタイミングでやってたとは思いもよりませんでした。ペールワンの話は伝説として、きっとNumberの記事辺りで読んでたんだろう。でも、同じ年だとは。

更に1976年、柔道金メダリストのルスカ、韓国のパク・ソンナンと戦っていて、ルスカ以外のアリ、パク・ソンナン、ペールワンとはリアルファイトでそれの事実に関する証言などを取材してまとめたのがこの一冊だった。各章で抱く思いも違うので章別にご覧ください。

「第1章 馬場を越えろ」
プロローグ的にジャイアント馬場とアントニオ猪木の間の関係が描かれ、猪木目線だからか善の塊みたいな馬場さんが大ヒールとして描かれてたのが非常に印象的だ。あとリアルタイムではないけれどもむごいくらいの外国人レスラーの引き抜き劇とかの背景はなんとなく分かった気ではある。でも、その劣等感が猪木を育てたのかと思いながら読んだ。

「第2章 ヘーシンクになれなかった男 ウィリエム・ルスカ戦」
ルスカの章は自分の中では主役はルスカだった。結果金の為に猪木陣営のショープロレスに参加したが不器用ゆえに大成しなかった。実力者ながら師事した師匠が本流でないために五輪に出られず、次の五輪の為にトレーニングに集中していたが愛した女が娼婦でそんな妻の稼ぎで生活していたとか設定なら最高なのに。それを演じられなかった。そこにルスカの哀愁を感じる。

後に小川直也と言う猪木作の柔道出身のプロレスラーを知ってるから余計にそうだ。でも、そんなプロレス下手なやつもうまく見せたアントニオ猪木って天才なんだなって言うのを知らしめる意味で主役は猪木ではあるんだろうけど、ルスカに心情は行きがち。

「第3章~4章 モハメド・アリ戦」
アリがあれくらい試合だけでなく魅力的なパフォーマンスが出来るのにはプロレスが由来してるという話は初耳で興味深かったです。だから、事前の記者会見の煽り方とかも最高だったのかとプロレスってやっぱりすごいなと思わせる中での同じく初めて耳にしたゴージャス・ジョージですよ。文字上だけでも魅力のあるそのキャラクターは今で言うと誰がその流れを引き継いでいるんだろう、リック・フレアー風なんだけどなんかもっと違いそうで(笑)。

アリは間違えなくルスカ以上にプロレス出来たはずだから本文にあったように間違えなくプロレス史上最高の試合になったかもしれないのに急に猪木が真剣勝負しようと言い出したって言うのは読んでる途中は「何やってんだよ」なんて思ってたけど、いざ思うとやっぱり猪木は「大枚はたいてアリを呼んだのに普通にプロレスをしていいのか」とか思ってたのかと思うとそれはそれで良いなぁって思った。

でも、その急な変節に対して色んな事言ってキャンセルしちゃってもメンツを保てる立場にあったワールドクラススーパースター・モハメド・アリの器の大きさと言うかファイターとしての凄さが際立ちます。『じゃあ、そのふざけた野郎を俺がぶっ潰してやる』っていう形で怪我を覚悟で(たぶん、レスラーに負けると思ってないだろうけど)闘ったというんだから。それまでの歴史も含めて、一番すごいのはモハメド・アリなんじゃないかとさえ思うわけです。

「世紀の凡戦」が見直されてるって話は聞いたことあるけど、フルで見た事ないからやっぱり見ようかなと思わせた部分でした。

「第5章 大邱の惨劇 パク・ソンナン戦」
これが一番ひでぇ話だなって読みながら今まで好きだった猪木への評価を一気に下げたのがこの章でした。人生の教科書にしたくなるような「図に乗った人間の末路」みたいな話でした。金の為に受けておいてメンツには徹底的にこだわるって言うなんか町中によく居そうな昭和のダメ人間みたいで本当に嫌いになった時間があったことを告白しておきます。俺のヒーローアントニオ猪木はそんな器がちっちゃいのかって思いました。

でも、図体がジャイアント馬場にそっくりだったらしいから馬場の幻影を見てたのは間違えない気がする。本当に嫌いだったんだろうなとは思うし、共感できないことはない。寅さんみたいで放っておけないのかもなんて思ってないけど、きっと猪木って身近な人には本当に厄介なんだろうなって思う。それは終盤読んでて随所に垣間見える。

「第6章 伝説の一族 アクラム・ペールワン戦」
プロレスをするはずがシュートを仕掛けてきたというペールワン戦の話ですけど、勿論それまでの話も書かれているんだけど、猪木の勝利によってパキスタンのプロレス熱が一気になくなって滅亡してしまった的な話って凄いなって思う。前章の韓国もそうだけれども、日本ではK-1やグレイシーによって壊滅されたに近かったプロレスが今こうして再びそこそこ熱があるところまで持ち返したのを見てると日本人の国民性なのかなとか思ったりする。

著作権侵害でしょうから、掲載できませんけどペールワン一族の肖像写真っていうのが本文にあるんだけど、オーラが凄かったのです。それだけ敬われてたのが負けてしまうとそうなってしまうのかと。この写真、正直言って面白いのでよかったら見てほしいもんです。

「第7章~最終章」
それぞれの章と言うよりもこれは総括的な感想なんだけど、柳澤健と言う人は悲しくなるようなブルースを掘り返したくなるひとなのだろうか?そんなことを思う。ここまでに「1984年のUWF」「1985年のクラッシュギャルズ」と新しいものから順番に柳澤作品を読んでるけど、これも含めて共通の感想として「音楽としてはブルースだよなぁ」って言うのが出てくる。柳澤健がブルースを拾いたがるのか、それともプロレスラーは往々にしてブルースを抱えているものなのか?そこはよくわからないけれども、この作品には猪木のみならず色んな人のブルースが流れている。

最後の方に向けて「1976年の3試合以降、猪木は真剣勝負のプロレスをしなくなる」という事をしきりに書いている。もっと言うと、プロレスへのエネルギーが低下してるみたいな書かれ方をしている。UWFに行ったら猪木が世界が変わったか、そこは分からないけれども、俺の知っているアントニオ猪木はそのころの猪木である。

ただ、そこまで真剣にプロレスを見ていなかった頃だからどう戦っているかはあまり覚えていないし、運よくそのころの試合のVTRを見ていない自分もいる。アントンハイセルの失敗と新日での暴走でどんどん信頼を失って援軍がいなくなる頃の猪木、カッコよかったのはどの政治家も踏み込んでない危険な紛争諸国に踏み込んでイラクでは人質まで解放して帰ってきた政治家・猪木だったりする。

しょうがないよね、幼少のころ金曜20時の頃にはおじいちゃんが好きだからリアルタイムでプロレス見てて猪木も初代タイガーマスクも見てるけど見た記憶しかないし覚えてない。自分にとって最初のヒーローは闘魂三銃士であり全日四天王だったもの。でも、柳澤健の後書きで全てが覆された。

柳澤健は猪木にこの作品の為にインタビューを申し込んだが「謝礼のないものには応じられない」と回答が来たという。本文最後に取材申し込み書の全文が掲載されている。その申込書を読んで思った、猪木は謝礼のために断ったんじゃない、プロレスラーとして断ったんだって。なんか、凄い感動した。

その直前にプロレス暴露雑誌みたいなものを読んでるのもあるんだけど、そこでは新日本プロレスで猪木の側近だった新間寿とか、長州の側近であり新日で取締役だった永島氏、あとレフェリーのミスター高橋とかが大手を振って「あの時はああだこうだ。あれは誰に頼まれて負けるように説得に言った」とか書いてて、本当に残念になったのです。喋りたがりの近所のばばぁみたいでカッコ悪い。

柳澤健も堂々と本文で書いてますよ、俺だってプロレスとはどういう物なのかなんて知ってる。でも、プロレスの何たるかと言うのを知ったのはサンタクロースが実在しないと知った17年後の話、27歳の時ですよ。一般人に比べたら相当遅いけど、そういうのを理解した上でと言うよりそんな前提は忘れて楽しんでる中でそういう裏話を当時していなかった奴らがこうだったなんて言うのが女性誌のスクープ記事の芸能通の証言みたいで本当にかっこ悪い。言い方悪いけど、「嘘は隠し通せ」って思うんです。

そんな外野を尻目に一切応じない、アントニオ猪木はやっぱりかっこいいなと思ったのです。勿論、そういうおばちゃん的な新間、永島、高橋に比べたら収入なんて相当あるから金には困ってないんだろうけど、そういう事じゃなくて守らなければいけない物をしっかり守ったアントニオ猪木は凄いと読んでいた感想があとがきで一気に覆されてしまって、胸がすくような思いでした。

【付録:2002年の私と】
さて、実はこの本を読みながら思い出したことがまた別にあります。それは替え歌を量産して作っていたころのお話。私は趣味で替え歌を作っていたころがあって、ちょっとした才能があると思って、それで天下を取ろうとお笑いに身を捧げようとしていた時期がありました。そして、2002年4月にアントニオ猪木を題材にした替え歌を作っていました。

「アントン(2002年発表)」
原曲 さんぽ/井上あずみ(映画『となりのトトロ』より)

アントンアントン 私は猪木 
挑戦大好き どこでも受けるぞ!
藤波 長州 タイガーマスク 
モハメドアリに仰向け 負けない
マサ斎藤と巌流島

アントンアントン 名前は寛至 
政治も大好き スポーツ平和党
戦争中にもイラクへ向かい  
北朝鮮でプロレスお披露目
ブラジル育ち 国際派

アントンアントン バツイチ猪木 
作詞も大好き 詩集も売れる
元気があればなんでも出来る 
この道行けば どうなるものかと
行けば分かるさー バカヤロー
締めはいつでも 1・2・3・ダ-

とまあ、そんなわけで2002年は猪木が引退して4年経ってまして、この年の夏Dynamiteで国立競技場にヘリから降り立ったそうです。ざっくりした知識の中での作品甚だしいですがいわゆるこれが一般的なイメージだったんだろうなって思ってここで紹介しましょう。

ちなみに2002年当時スポーツ平和党はまだ存在し2004年に解党した。猪木はとっくに議員ではなかったようです。あと、最大の失念はバツイチ猪木、倍賞美津子との結婚が初婚だと思っていたようですが、実際に倍賞美津子とは2回目で2002年はもう3回目の結婚していたと。

とまあ、うんちゃらかんちゃら解説も書いてますけど、この本を読み終わる直前にひょんなことから「となりのトトロ」を見る機会がありまして、そこでこの替え歌を丁度思い出してたのでこういう事もあるんだなと偶然を楽しんでいたんですけれども、映画の序盤に戦慄が走ります。

サツキとメイがまっくろくろすけに呼びかけをする名シーンがあるんですがそこでのセリフ「まっくろくろすけ出ておいで、出ないと目玉を突っつくぞ」と。パク・ソンナンにアクラム・ペールワンにレフェリーの目を盗んで相手の眼を突いた攻撃を連想してしまいました。

2002年当時、作品を紹介したメモによると「猪木の世界観を替え歌にしたくて、みんなが知ってるような曲を探してて、たまたま丁度いいのを見つけた」みたいに書いてあったわけですが、楽曲が引き寄せてしまったのかもしれないなんて思ったのです。

投稿者: shakson5

しまだくらぶです。生まれも育ちも住いも埼玉県の昭和54年早生まれの40代です。婚活の歴史とか趣味のDJとか色々お話して、皆さんの暇潰し等のお役に立ちたくてブログを書いております。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。