2017年の(私にとっての)【最狂超プロレスファン烈伝 3~4巻】

徳光康之先生による「最狂 超プロレスファン烈伝」をいよいよKindleにて読み始めました。1~4巻は実際Amazon中古であったけど5.2巻への周囲の熱を見ると待てなかったのと先生に共感した物として「1銭でも先生の財布に入れたい」と言う思いゆえに。で、「最狂 超プロレスファン烈伝」まだ最初10ページ読まない内に急用が入りましたが事件が。大宮スケートセンターの名前が!昔、友人宅で「プロレス好きなら知ってる?」的に読ませて貰ったのが烈伝でした。あの頃、超近所の施設が活字になっただけで興奮したのを思い出した。今回は書籍として存在している3巻4巻のお話です。

【第3巻】

第12戦。92年の出来事なので同じく新日本と全日本を見てた頃の話なのでやはり知らないことが多かったとはいえ、初めて女子プロレスがフューチャーされたこの回。そして、初めての佐賀スポーツセンター実録シリーズ。売店のおばさんに褒められて顔を赤らめるブル中野。そこからの佐山聡推しの大河出生の秘密ともいえるような急展開ですが、佐山に振り回されっぱなしになった過去から念写を手に入れるという展開。
実はこの後、この巻では作品が一気にフィクションに走っていくんだけどその序章ともいえるような展開がここから始まっていく。そもそもここまで自体フィクション的な展開であるわけだけど、フィクションだとは思わず読んでたりする自分がいたわけだけど、そんなフィクションを実話に変換する私の想像を更に越えるフィクションが多かった。
大河の念写自体気持ち悪いからそれでいけばいいのに木籔の念写でゼットンが現れることに大爆笑。RINGSというファイティングネットワークは宇宙まで行っているのかと言う展開に笑うとともに知らなかった前田が強くなろうと思ったきっかけの話。そして、さらにその20数年後に映画で飯伏幸太が怪獣と闘っているという事を考えると徳光康之の念写も実は相当なもんじゃないかと思う。

第13戦。最初、アンドレに似た警察官を部員がいじる話が最後は紆余曲折の末にユニバーサルを助けたい話にたどり着く。その紆余曲折がネジ曲がりすぎて思わず立川談志の「イリュージョン」を思い出した回。
北尾の表札も断片的に皆が名場面と言っててその行為自体馬鹿馬鹿しいけど、高田北尾戦を前に北尾を精神的に揺さぶる為に全国の表札を集めればどれかは北尾本人だからと言う理由はもっと馬鹿馬鹿しい、で更に「越中、木村、青柳、斎藤」の表札を集める天龍ファンを被せて来るあたりの笑いへの貪欲さ。
そこから更にユニバ分裂ギブスからのユニバーサルプロレスのオークションへの話とつながっていく。
オークションの話、これだけで1巻分の価値はあるだろうけどマスカラスマスク三連発とかヤバイでしょうよ(笑)。それは事実な訳だけど新間寿の仕掛けのすごさに唸らされます。
あと、表札もすごかったけど徳光康之先生のUWFメインテーマをインストとして扱わない思想は全日本プロレス中継のテーマ(NTVスポーツテーマ)に選手名がついたのと同じように今歌詞が付けられてる。この時点でインストだけど、インストとして扱ってない姿勢に非常に感銘を受けた。冗談抜きにコマとコマの間に「日本音楽著作権協会~番」って入っててここに著作権料を支払ってることに感動した。しかも、見返したら高田延彦ファンが口ずさんだメロディに対して『あれは何をやってるんだ?』って突っ込まれてて、どんな音程で歌ってるんだ!とさえ思わされる。

第14戦。前巻の木藪によるWOWOW衛星を壊すと同じ発想の巌流島を沈める構想から始まる今回は高田延彦ファンが長州ファンのジャージを見つけることから端を発する。このくだり浦和レッズサポーターでもあるので凄いわかる。埼玉西武ライオンズファンとしては味わえないこの感情(笑)。
新日対UWFインター対WARによるディベート大会。印象としては原点回帰と言った印象でこの前後を考えると派手なイリュージョンはなくで、深夜番組の「プロレスファン討論会」的な番組を観てるような印象だった。全てはこの先に続く狂気への助走と言っても過言ではない。

第15~16戦。このブログシリーズの方針を大きく変えてしまったのがこの2つ。徳光康之先生と最初出会ったのはプロレスイベントのトークショーの出演者としてであり、私は作品は読んでない状態。トークショーでの徳光先生はこの作品の話もしていた。その中で引っ掛かっていた部分はここにあった。
確か、「徳光先生がプロレスから離れていた時期があってそんな状態で描いた回があった」みたいな事を言っててなんじゃそりゃって思ってた。それが物議を醸して、読者が侃々諤々とした論争があった。この話が噂のそれかと思ったわけです。
考えたこともなかった「プロレスが存在しなかったら」と言う事。個人的には生まれた頃から祖父の影響で中身は覚えてないけど、見るのが当たり前だったプロレスですからね。


ジャイアント馬場が怪我をして投手を諦めたとか細かい事実は抜きにして、プロレスが無かったら野球を続けてたと言う想像、アントニオ猪木はプロレスが無くても政治家になってると言う世界。アントンハイセルと言う単語を聞いた時にこの作品とは対立構造にある「1984年のUWF」で聞いたやつだと思い出す。全てがプロレスと言う名に繋がっているのだと思う。


プロレスが無かったとしても、その世界にはプロ柔道と言うものがあると言う設定もなんか微笑ましい。結局、格闘技好きな人ってのはいて何かしらにはまっていると言うのが徳光康之先生の想像で実際そうなのかもと思わせてくれる。
もしプロレスが無かったら柔道はムエタイやテコンドー、サンボ、そしてボクシングに挑んでいたのだろうか。他にもいるかも知れないけど、小川直也、吉田秀彦、石井慧はプロレスがあるがゆえに柔道の伝統の中では異端児の様に扱われていた。でも、この世にプロレスが無かったら山下、古賀あたりも世界の格闘技とやりあってたのかもと思うとワクワクする。

そして16話には力道山が登場する。物語では木村政彦に負けてしまったゆえにプロレスはなくなったと言う設定だったが、凄い真実味がある話だなと思った。僕らにとっては伝説上の出来事である力道山対木村政彦の闘い。力道山が負けてたらこんな「猿の惑星」みたいな出来事は起こり得たのかしれない、そんな気がした。
話の中にあったプロレス雑誌のパロディ、「週刊はじめ」は気付いた後にジワジワ笑いが来た。スポーツに「たられば」は無いけど、色々想像を膨らませた衝撃の二部作。

第16.5戦。外伝ですが牛をキャトルミューティレーションした宇宙人をテキサスやらファンク道場ゆかりのレスラー達が倒す話。第12戦にあった前田対ゼットンしかり未知なる生物とプロレスラーが戦うと興奮する。こんな感情は漫画だけじゃなくて今まで実際経験したことがある。プロレスラーとはスーパーヒーローなんだと16.5を読んで実感させられた。

第17戦。そして、そのプロレスを愛しプロレスが無いと何も出来ないプロレスファンさえもスーパーヒーローなんだと言わんばかりの第17戦(16.5戦と連結してます)。
こんな話アメリカ映画にありそうだけど、現実を無視して生身の人間が戦車に立ち向かう事に興奮できてしまうこと、西等里の「ドームのこと頼むぜ」からのウエスタンラリアットで戦車の弾を跳ね返すところは印象的でプロレスファンで良かったし、前の話に繋がるけど、プロレスがあって良かったと思った。この作品が今も「プロレスファンのバイブル」だなんて言われる由縁はここにある気がした。

ぶっ壊されたドームの描写がリアルでそれだからこそ響き渡る孤独な前田コールも印象的だ。個人的に好きなのはこの戦争相手がどこか明記されてないところ。どこの国かなんて明記する事に意味をなさないだけなのかもしれないけど、プロレスの敵は国外にいないからなんじゃないか?と深読みしたくなった 。
今なら北朝鮮だろうけど、彼らとプロレスは平和の祭典で繋がってる。その他具体例は多すぎるから省略だけど、色んな意味で「世界に敵はいない」と言うのはプロレスの合言葉みたいなもんじゃ無いかと言う気になって伝説の3巻が終わったのだ。

【第4巻】

第18戦。衝撃を受けた第17戦の続きだった。4巻が出たのは2000年頃の話。読み返して気付くのはプロレスネタの少なさ。Uインターで待たされる話と猪木と佐山が組んでU.F.O作ったくらい。そして、ウェーブ流行ってたなぁって。今もやらないことはないけど、いつからか「イベントが退屈であることの観客による意思表明」みたいな解釈に変わったもんである。
核爆弾が落ちると告げられたら世界は終わるも同然なわけだから行けるなら会場行って始まるかもしれないプロレスを待つと言う気持ちなんか分かる。まだ、ウェーブが高まりを示したい時に使われてた頃だと分かる。


その巨大ウェーブのうねりが核爆発直下だとうねりを起こす話も徳光先生はプロレスファンなら持っている「そういうもんだ」で片付ける脳味噌に委ねているのだなと思いつつ、それへの編集部注釈にニヤニヤしてしまった。
「7年待った」と言う話、そんな名言探してもどこにもなくて、何故だと思ったら3巻から4巻までのタイムラグだった。もしかして、17戦と18戦で7年空いてるの?そんなこと想像するとかなり震える。こちとら中2日で読んじゃってるけど、リアルタイムの皆さんは7年なの?って。
インタビューで新日本プロレス内藤哲也が「次どんな展開が起きるか予想しながら待つのもファンの楽しみ」みたいな話を聞くけど7年待ったプロレスファンも凄い、そしてその先に現れたのが猪木の巨大胸像とカオスの始まりとは凄い展開である。
そして、あの猪木のポーズが力道山にしか見えない。自分の知る限りあの力道山と言われて直ぐ出てくる腰に手を当てたあのポーズをした猪木を見たことがない。猪木信者な自分だけどやっぱり現代プロレスの象徴はアントニオ猪木なのかと思わせるようなシーンだった。
エヴァンゲリオンもそうだったけど、地球から生命体がなくなっても海は残るんだとわかった、そんなセカンドインパクトみたいな世界を予想させた回だった。

第19戦。いきなり宇宙パワーで笑った。本物は見たこと無いけど、プロレスカードで知った人が久々に現れた。そして、グレイシー犬には面食らった。実は最新作の5.2巻でグレイシーが出てくる。徳光先生の過去作に「バックドロップ犬」ってのがあってその語感にすごさを感じてたからその延長かなとか思ってみたりする。
グレイシーを倒すためにみんなでビデオ見て研究してたから出方が分かるって話も展開にワクワクして、止めをさすまえに「グレイシーとやるからにはプロレスの技で仕留めないと意味がない」と言う言葉は痺れた。当時グレイシーに勝てない事に苛立ちを感じてとにかく勝てと思ってたけど、更に上を求めてる人を見て本来はそっちの方がカッコ良い勝ち方だよなと。

みちのくプロレスのファンは分裂を憂い、ハンセンを追いかけた西等里さんは周りでプロレスの話を出来るファンが居なくなった事を憂う。物語の中ではプロ研の物同士で語り合える両者だけど、二つの世界を現してる気がした。
プロレスファンってマイノリティだとは思ってて、自分もそうだけど周りにプロレスファンがいない世界で過ごして来て、今はネットワークがあって色んな人と交流してるけど、この当時はそんな仲間見つけてない頃だから、孤独になったらみちのくファンみたいに自分の世界を展開してたのかもしれないと思うし、話す仲間を失って悲しくなれる西等里さんを羨ましく思えたのかもしれない。勝手な解釈ではあるものの、孤独で楽しめる人とみんなで楽しんでいた人、二つのタイプのプロレスファンを描いたような気がしてならない。

そして、徳光康之の分身である西等里さんがこれを漫画に書き起こし始める。懐かしいシーンを再び出すって映画のクライマックスにありがちでいよいよ物語は終わってしまうのか?そんな雲行きすら感じるのだ。またしてもエヴァンゲリオンが出てくるけど、ちょうどラスト2話の精神世界みたいな展開である。

第20戦~21戦。西等里さんの序盤「現実のプロレスはファンの妄想を軽々越える」このシリーズでも書いてたけど正にその通り。直近で書いた通りエヴァンゲリオンのラストみたいな空気を感じながら物語は終息へ走り出してる感じ。
たどり着いた時空で猪木ファンの奥飛は核爆発を受けても残っていたあの新日の火を守るために犬達に火の守り方や文明を教えながら(この犬に教えるところが実に愛らしくて好き)ナックルアローで鬼藪が見た猪木の胸像を作っていた。


これは後半で作者が編集に語る体で説明されてたけど、年齢順に核爆発後に西等里→鬼飛→鬼藪と時空のリレーが行われてると。この説明無いと色々謎なまま終わっちゃうから非常にありがたいけど、ここで退学宣言が発せられる。偶然かわかんないけど、「卒業」と言う話をシュートサインで仕掛ける編集者に拳で「退学」と返す作者、そして文字だけ「後は情念の持ってる物に託す」メッセージ。
西等里さんが小川直也ファンの描写を薄くしたのは何故か?ジャイアント馬場が亡くなった時の十六紋さんを1コマ程度で終わらせたのは何故か?退学が関係してあるに違いない。無理もないのである前田日明が直後に引退してるのだ。あんまり意識してなかったのだが、小川直也が「目を覚ましてください」と言ったのと馬場が亡くなったのと前田の引退が二ヶ月間で起こっていたとは。
このブログは一回で思ったことを書きたいから書き忘れを防ぐために何回も読んで検証してる。一回目は面白いからテンションで進めるけど、それじゃ気付かないことがたくさんある。

その代表例が徳光康之先生の前田日明への愛だ。各所で公言してらっしゃるから言わずもがなではあるけど、改めて20話を読んだ末に実感してる。それは高田延彦との比較の上で感じた。

ここでは高田延彦ファンの浪倫は棚しか無い部屋に閉じ込められてβのテープを流し込まれて第1戦の鬼藪のように「テープを棚に並べる姿」を楽しみにいや滑稽に待たれているがnWoや新日本のテープでは動かず安生がヒクソンに殴り込んだテープでは泣くので部屋の外で笑われていると言うくだり。「誰かに見せるためにプロレスファンやってんじゃねぇ」なんか高田延彦言いそうな台詞だなぁで終わったのが一周目。
ただ、読み返した時に浪倫が巨大なタコらしき腕によりこの部屋に連れてこられた。これを噛み砕いた時にゾッとした。高田はタコすなわちオクトパス、ゆえに猪木の掌の上のオモチャとして表現されていたのでは?と。

ここまで浪倫が高田延彦の勝ちを誇示しても茶々を入れられ、ヒクソンに負けた時はボコボコである。折しもこの当時PRIDEに猪木がいた時代で「結局、猪木の掌の上じゃねぇか」みたいに思われていたに違いない。
一方、前田日明はこの20戦までの表記としては1敗しかしていない気がする。2巻でヴォルク・ハンに喫しただけである。2巻の表紙のインパクトが強すぎて気付いてなかったが多分そうだし、20戦の中ではカレリンにも負けたと言う記述は無いし引退さえしていない。
むしろ横浜線の話で脱線したから闘って無いのかもしれない(笑)。更には核爆発後の世界では奥飛が作った世界をベースに鬼藪が闘っている。つまり、徳光先生の中で猪木は前田につくべきだと言う発表当時の希望ないしは預言が書かれていたのではないかと思うのである。

事実はしっかり記録されてるけど、読んでて鬼藪のプロ柔道が支配していたパラレルワールドに潜り込んだように知らない内に徳光康之のパラレルワールドに入り込めた気がした。
「異常なドタバタを読者に納得させるには日常の背景小物はリアルでなければならない」西等里さんの名言と言うより徳光康之先生の哲学かはたまた漫画作家の常識か?そこは分からないけど、自分はその哲学でこの世界に没頭出来た。

プロ柔道の時は雑誌のタイトルに、核爆弾の時は壊れた東京ドームと水道橋の街に納得させられた。自分の製作技法をつまびらかにして、分身である西等里に愚痴を吐き、これまでの歴史を振り返り自分はプロレスについていけないと吐露までしてしまう。何かの機会で確認したいけど、書いている際中に相当な葛藤があったのかもしれない。

2017年5月1日(月)時点でこの物語は4.5巻、5.1巻、5.2巻と続編が出ているから終わっていないのは分かっているが、もしかしたら完結しちゃうのかとさえ思えた4巻だったがあらためて巻末で続くとわかって、次の展開が楽しみになってる。この4巻は次の展開を読んでいく時、そして振り返って読む時に大きな指針となる気がする。それが前田日明と高田延彦を軸に読むと言うこと、もちろん前田が主役の物語にはなるけど(笑)。
早く書き終えて4.5に行きたいけどまだ話足りてない(笑)。そして物語は終わってない、でも「終わりは始まってる」事をヒシヒシと感じてはいる。プロレスラー風な表現で言うなら引退シリーズみたいな感じであり、獣神サンダーライガー最終章みたいな感じであろうか。ここからどう終わるのか?予想しながら読む楽しみも始まるのかもしれない。

退学していた徳光先生は復学して、新しいものを創り出してる。きっとそこには読者がいたから。西等里が鬼藪の彼女がいたことで筆を進めていた事で表現されているけど自分もブログを書いている表現者の端くれとして凄い分かる。7年の時を経て復学したのはきっと読者の声があったに違いない。こればかりは先人達の熱に感謝したい。その熱のお陰で今こうして携帯電話で作品を楽しめてます。その節はありがとうございました。

投稿者: shakson5

しまだくらぶです。生まれも育ちも住いも埼玉県の昭和54年早生まれの40代です。婚活の歴史とか趣味のDJとか色々お話して、皆さんの暇潰し等のお役に立ちたくてブログを書いております。

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