自殺かよ、また週末に、年下が~何故土曜日に有名人は命を絶つのか?~

三浦春馬が30歳で亡くなりました、首を吊ってたそうです。都会では自殺するテレビに出てる若者が増えています。先月のプロレスラー木村花に続き2ヶ月連続です。別に記録に残るような話ではなくて、残念な記憶として残ります。

月曜日「何故、そうなったんでしょうね」とテレビは話してます。ショックを語る著名人やファンのコメント、自殺前夜を語る友人や当人のSNS、顔を出さない事情通と色んな話があるなかで誰も言わないのは自殺論。

「自殺の是非」だなんて、是なんてあり得ず非しかないはずだけど、最近は社会に闇があり必ずしも非ではないみたいな風潮がある。あの人も苦しんでその選択肢しかなかったみたいな考え方である。頼る人はいなかったのか?とかだけど、やっぱり自殺した人への同情とかはどうにも出来ません。冥土の福を祈りたくないです。その人が選んだ最良の選択肢だったんでしょ?じゃあ、あの世で報われるみたいなのはいかがなものかと思っちゃう自分はいます。

個々の死生観はあるわけですが、こちらとしては自殺した近しい知人がいて、失ったことにより自分も含めて色んな人が悲しむ姿を見たのが13年前、そこから今に至まで急に亡くなった同級生、同学年でいきなり現代医学に解決出来ない病で奥さんと生まれたての子供を残して逝った友人、癌にかかって亡くなった恩人、事故で体が思うようにならず姿をくらました恩人とたくさん「(きっと)生きたかったのに生きられなかった、もっと生きたかった」人を見てきたからか自分から死ぬと言う選択肢は俺の人生にはない。

辛かったら逃げるはあったけど死ぬはなかった。これを「人生経験の差」と言ってしまえばそうだ。20歳や30歳では体験できないことかもしれない、だからしょうがないみたいにして良いのかなと思う。それで悲しむ人が産まれることは繰り返されるわけで止めようとする動きがない限り連鎖し続ける。策は無いのだろうか?

中学二年の時の担任はアラサーの女性国語教師で誰かが「死ね」とか「死ぬ」と言ったらヒステリックにぶちギレる人だった。それを分かって言うバカがいて、真面目なこちらは迷惑千万で、思えば「死ぬ」と言う言葉にアレルギーを感じたのはその頃で効果は確かにあったけど、決して得策ではない。自殺を止める術、自殺がどれだけの人を悲しませるかを伝える術を教育出来れば色々変わったのかもしれません。それは誰の役割なんでしょうか?教育評論家は評論するだけだから無理なのは分かりますが(笑)。

あと、冒頭の二人とも自殺する日を土曜日にしたのは何故なんでしょうね。それだけでも知りたいところです。このブログと言うか私が書いた文章なんて10名読めば良い方ですが、もしかしたら「何故土曜日に有名人は命を絶つのか?」ってのに引っ掛かって来る人はいるかもしれませんが、そんなのは下世話な新書ライターにでも書いてもらってください。

そんなタイトルの新書ありそうだもんね。書きたい方はどうぞ。「心理的に追い詰められる人の中にはキリスト教的な思考があり『土曜日までにやるべき事をして日曜日は安息のための日』みたいに思うのかもしれない」とかね。ちなみに死生観を変えた自殺した近しい知人も遺体が発見されたのは土曜日で日曜の夜に連絡が来たのでした。

投稿者: shakson5

しまだくらぶです。生まれも育ちも住いも埼玉県の昭和54年早生まれの40代です。婚活の歴史とか趣味のDJとか色々お話して、皆さんの暇潰し等のお役に立ちたくてブログを書いております。

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