落語感想文8「訃報を聞いたら手を合わせ枕元の死神を思う」

落語感想文です。毎回、その時に合わせた落語を紹介しつつも個人的な感想を書いております。12月26日(土)、今日は年内最後の土曜日、だからこそ「死神」の話をしたいと思ってました。

とかく、2020年の土曜日は著名人の自殺報道を聞かされました。プロレスラーの木村花、俳優の三浦春馬、女優の竹内結子が代表例です。何も死を選ばずとも良かろうに、生きてる側はそう思うわけですが、死を選ぶ側にも事情はあるのかもしれません。


実は三浦春馬の死後直ぐに書いたブログの閲覧者が多くて、きっと未だに謎に思う方が見てくださっているんだと思います。個人の話ですが私は大切な仲間が自殺でいなくなってしまった側の人間ですから、失った側の考えでそういう「信じられない」とか「あり得ない」と憤りながらも思い出すのは『死神』のラストシーンです。

暗闇の中に数多くの大小様々な蝋燭が立っているシーン。主人公が別れた妻との間にもうけた生まれたばかりの子供は太い蝋燭に明るく火が灯っているが死神との約束を破って死ぬ運命にある主人公の蝋燭は救った店の主人のものと引き換えに今にも消えそう。そんな世界を思い出して「若くして自殺した奴の蝋燭はどんなだったんだろう?」なんて思っていた。

聞き直して分かったことがある。それは主人公が死のうとした時に死神に止められて医者になることを薦められた時、つまり噺の序盤のシーン。枕元か足元、どちらかに死神がいるかでそいつは寿命で死ぬかそうでないかが分かると言う話。足元の死神は呪文で消せる助かる命だが、枕元の奴は寿命だから助からない。「寿命がある奴はいくら死のうと思っても死ねない」と言う、川に身投げをしても浮かんでしまい、首を吊っても吊った糸が切れちまう。寿命とはそんなものだと言う、だから抗えないのだと。

自殺も寿命なのかと考えさせられる。関係者にしてみればたまったものではないが、気落ちする関係者を慰めてる気がしてきた。エンターテイメントである落語が悲しむ人を更に悲しませてどうする?実際この「死神」もそうだし、恐らく後に感想文を書くであろう『文七元結』もそうだが「死にたい人を食い止める描写」が描かれており、そこに「落語とは人間の業の肯定である」と言うこの感想文に何度も出てくる立川談志の名言を彷彿とさせる。
今まで軽く流していた「死神」の序盤もじっくり考えさせられた、それが2020年。

グリム童話から着想を得て作られたと言う「死神」に関しては内容を語る必要無いんじゃないか?と思うくらいメジャーな噺だと思ってる。

そんな噺にそれぞれがどう色を付けていくのか?が死神を楽しむ醍醐味であろう。どんな枕から入るか?死神をコミカルに仕立てるか?名前の通りダークに演じるか。医者として儲かり駄目になり一線を越えて落ちていくと言う基本的な柱がしっかりしてるからそれに則っていくらでもアレンジが出来る。色々聞いていくと噺家によってサゲが違ったりする。死神を消す呪文「あじゃらかもくれん◯◯てけれっつのぱ」位が共通なんじゃなかろうか、それでも◯◯は噺家の裁量でフリーで変えていたりする。個人的にこの◯◯は楽しみにしたりしている。

驚くべきは死神以外の登場人物に名前が付いてない、主人公の男、後に別れる妻子、主人公の周りにいる遊女、主人公に助けを請う店の若い者と病人である店主、確かに具体名は要らないかもしれない。そこもアレンジ出来る面白さがある。柳家喬太郎版では「近江屋の文七」と言う男が主人公を訪ねる、それこそ先程挙げた『文七元結』の浅草吾妻橋で身投げをしようとして止められた若者のカメオ出演に落語好きは喜ぶ。そんな噺家の工夫が楽しめる「フリー素材もの」落語なのかもしれない。

噺家によって色々なサゲを持つ噺です、それこそ死ぬはずの主人公が甦ったりするケースもあるらしい、追い詰められた状態で落語なんか聞かないかもしれないけど死神が言う『寿命がある奴は首吊ってもその糸が切れちまう、苦しくても生きなきゃいけないんだ』その台詞を聞いたら思いとどまったのだろうか?短い寿命だったと思ってしまうのだろうか。来年も同じことを思う瞬間は訪れそうだ。

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投稿者: shakson5

しまだくらぶです。生まれも育ちも住いも埼玉県の昭和54年早生まれの40代です。婚活の歴史とか趣味のDJとか色々お話して、皆さんの暇潰し等のお役に立ちたくてブログを書いております。

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